ルイジ・ギッリ 「Works from the 1970s」タカイシイギャラリー
先日、東京でルイジ・ギッリの展示を見てきました。
東京に行ったのはそれが目的で行ったのだけど、当日は雨だったしギャラリーに行くのもめんどくさくて、悩んだけど、行くところもなかったので、とりあえず雨の中、六本木のタカイシイギャラリーへ。
六本木に行くのはこれで2度目。
東京には何度も来てるけど、六本木はどうも肌が合わないというか、ずっとスルーしてました。
グーグルマップを頼りに、タカイシイギャラリーに到着。
駅から近いですね。
青山ブックセンターの近くです。
タカイシイギャラリーはいくつかのギャラリーが入った、オフィスビルのような建物の3Fにあった。
最初はそこがギャラリーとは思わず、前を通り過ぎてしまった。
あまりにも無機的なオフィスビルにしか思えずわからなかった。
何とか辿りついたタカイシイギャラリー
展示されていたルイジ・ギッリの写真は小さな写真ばかりでした。
どの写真も特に特別な何かを撮影した写真でもなく、どちらかと言えば、街の何気ないものだったり、何気ない風景だったり、広告物だったり。
多くの写真家が撮るような立派な写真ではなく、いかにも素人写真のような写真ばかりだった。
しかし、その背景には何かしらコードがあって、そのコードに沿ってルイジ・ギッリは撮影してるのは何となくわかった。
写真だけ見ると天然系の写真家のように思えるけど、実際はとても倫理的に考えて撮られた写真であることはわかる。
実際に、ルイジ・ギッリの書籍で「写真講義」という書籍があるけど、あれを流し見しただけでも、ルイジ・ギッリが倫理的に考えて写真を撮ってることがわかる。
でも、展示された写真からは正直なところ、どういう意図で撮影されたかは詳細が伝わってこないので、なにかしらルイジ・ギッリについて調べてから見たほうが、よりルイジ・ギッリの写真が理解できたかもしれない。
自分も写真を撮るし、何となくでもルイジ・ギッリのやってることが、感覚的に理解できる、という感じで写真を眺めてた。
ルイジ・ギッリの写真は、見る人によって好き嫌いがあるだろうなぁ、って思えたけど、ツイッターなんか見てると、結構評判もいいみたいですね。
タカイシイギャラリー東京「ルイジギッリ」 pic.twitter.com/HfNDCdD7qD
— a-king (@__aking__) 2017年6月18日
ツイッターに展示風景をアップしたつぶやきがあったので、張り付けておきます。
小さな写真の展示も面白いですね。
タカイシイギャラリーで展示されてるプリント見て思ったことですが、ファインプリントの類のプリントではないので、ピリッとした緊張感のあるプリントを期待していくと、がっかりしたかもしれない。
印刷物のようにも見えなくもないプリントでしたけど、こういう写真を撮る人がいて、その写真をプロのノウハウで見せるギャラリーがあって、それで成り立ってる展示でしたね。
それと気になったのが、この展示されてる写真て、その写真群が一つの明確なテーマで撮られたものなのか、ということが気になった。
写真展のタイトルが「Works from the 1970s」だから、1970代にルイジ・ギッリが撮影した写真を寄せ集めたのかな?
でも、よくまとまった展示でしたね。
今回の展示に合わせてルイジ・ギッリの図録も販売されてました。
雨も降ってたし、荷物を増やすのも嫌だし、値段もそこそこ高かったので、購入はやめた。
その後、青山ブックセンターに行った。
ここは写真集の数が多いですね。
大阪ではなかなか見れないマニアックな写真集が結構おいてありました。
ルイジ・ギッリの写真集も何冊か置いてあったし、これにも驚きでした。
最近は大阪の書店では目にすることがなくなった、「写真講義」も置かれてました。
いくつかルイジ・ギッリの写真集を見たけど、面白かったが、結局買わなかった。
面白い写真集だけど、なぜかルイジ・ギッリの写真を見た後は、「自分で撮ろう」て思えた。
真似するつもりはないけど、どこか自分の撮る写真に近いものもあり、写真集をわざわざ購入するのもどうなのかと、考えた次第です。
でも、「写真講義」は買って読んでも良さそうですね。
あの、ルイジ・ギッリの写真の背景にあるコードを読み解くには、やっぱり説明が必要だと思った。
説明がなくても、自分はルイジ・ギッリの写真は好きで見れるけど、「写真講義」は買って読むと思う。
ルイジ・ギッリの写真展はもう終わってしまったけど、次にルイジ・ギッリの写真を見るのはいつになるだろう。
一部の人に受けるマイノリティの写真だけに、今回のタカイシイギャラリーの展示は見ておいてよかった。
ルイジ・ギッリの写真を見た後に、中平卓馬の写真を思い出した。
中平卓馬の晩年の写真も、天然系の写真に見えるけど、あの写真に中平卓馬が辿りつくまでに、思考を繰り返して辿りついた写真なわけで、天然系のように見える写真の背景にあるコードを知ってるのと、知ってないのとでは写真も見え方も変わってくる。
スタイルは違えど、どこか自分の中で中平卓馬の写真とルイジ・ギッリの写真がつながった。
多分、ルイジ・ギッリのほうが明快に自分の写真を説明できる人なのかな?と思った。
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