普通の写真について

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今日は奈良の撮影。

近鉄の西ノ京で下車して薬師寺に行く予定でいてた。

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しかし薬師寺の拝観料が1100円もするので、予定変更。

1100円あったらリッチな昼飯食うよ。

バカバカしくなって近くの唐招提寺に行くことにした。

唐招提寺に行って拝観料を見たら1000円だった。

ここもバカバカしいので今日はひたすら奈良の街を歩こうと思った。

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しかしながら、途中でおしっこしたくなってしまって、ガッツリ歩きたい気持ちとは裏腹に公衆便所を探しても見つからず、渋々近鉄のの尼ヶ辻でおしっこしたさに西大寺までの切符を買って電車に乗った。

結局、西ノ京から奈良駅まで歩く予定が頓挫。

 

奈良の撮影で一番苦労するのがトレイの問題。

明日香村の方まで行けばところどころに公衆トイレがあるのだけども。

 

西大寺で下車して平城宮界隈などウロウロと撮り歩いた。

普通の写真について

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奈良のローカルな風景を撮っていて、やっぱり自分は奈良の写真をライフワークに撮って行きたいって思った。

以前からそのことは考えてたのだけども、なかなかポイントが定まらなかったこともあるし、トレイの問題もあるし、ずっと奈良の撮影に関してはトレイで苦労しない奈良公園界隈での撮影ばかりしてた。

もっと奈良の街の写真を撮りたかったのだけども、なかなか行動に移せずにズルズル。




普通の写真

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奈良の写真と言っても自分の場合は普通の風景を撮りたいって思う。

奇をてらった撮り方ではなくて、もっと普通に奈良の街の風景にレンズを向けてシャッターを切りたいって思った次第です。

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一時、シグマのメリルというとても解像度の高いカメラを使用して奈良の風景を撮ってた時期があるのだけども、なんかしっくりこないまま数回撮影しただけで辞めてしまった。

今日は500万画素のコニカミノルタのコンパクトデジタルカメラで撮影していて、このチープなコンデジだと自分のイメージに近い奈良の写真が撮れるのでは?って思った。

普通の写真について

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普通の写真を撮りたかったので、逆によく写るカメラなんか使うと普通にならないと思う。

自分的にはどこの家庭にでもあるような35ミリのコンパク卜なフィルムカメラで、それでいて自動現像でサービスサイズにプリントされた写真のイメージなのだけども。

決して画質がいいわけでもなく、それでいて素人っぽい写真のイメージ。

普通の写真について

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そういう写真を撮るのにマイクロ・フォーサーズとかaps-cなんかのカメラは必要ない。

それこそコンパクトデジカメで十分だと思う。

性能が良くて画質の良い最近のものでなく、古い画素数の低めのカメラで撮ったほうが自分のイメージに近いかもしれない。

普通の写真について

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普通の写真って言っても、意識的に普通の写真を撮ろうとしたその時点で、もう普通の写真ではないのだけども。

矛盾ではあるけども、自分的には立派な写真ではなくなんでもない、どちらかといえば見る人が通り過ぎてしまうような、何でもない写真がいいのだなぁ。

奈良の街を歩きながら今日はそのような事を考えてた。

普通の写真について

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何年か前に自分はとあるショッピングセンター内にあるアートギャラリーで個展をしたことがあるのだけども、場所柄ギャラリーには小さな子供が入って来たりする。

ある日、小学生の低学年くらいの女の子二人がギャラリーにやってきた。

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自分は椅子に座ってその子達を見てたのだけども、その二人の女の子は自分の写真を一枚一枚見ながら「これは普通」、「これはちょっと普通」、「これは普通じゃない」とか自分の写真の評価をし始めた。

ずっと二人の女の子のレビューを見てると、自分が展示してた写真の多くを「普通」と言う評価を下してた。

自分はそれが嫌なわけでなく、自分が考えてた個展の展示した写真のイメージが「普通の写真」だったので、間違ったことしてなかったと確信した。

普通の写真について

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子供の評価だからあてにならないって言うのは違って、評価する言葉を持ってはいないけども「普通」「普通じゃない」というシンプルな評価の仕方がとても的を得ていたので、関心した。

結局の所、今になって思う事だけども、自分の場合はインパクトの強い写真よりも、何でもない普通の「風景」とか光景に魅力を感じるし、そういう写真を撮りたいわけである。

普通の写真について

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特に「普通」を意識しなくても「普通」の写真しか撮れないのだけども、今日は奈良の街を歩いて写真を撮っていて、どういうラインで撮影していったらいいのか見えてきた。

使う機材なんかも明確に見えてきたし。




画素数の低めのコンデジで今後は奈良の写真を撮って行くと思うけども、今のデジカメってスマホのカメラでもよく写るので、古いコンデジで撮影したほうがより「普通」の写真が撮れるような気がする。

普通の写真について

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最近のデジカメはサクサク撮影できるけども、若干もっさりしたカメラのほうがシャッターチャンスのタイミングも外れるので、素人っぽいかな。

さっきも書いたけども、「普通」を意識した時から「普通」でなくなると思うけども、自分が撮り進める写真のラインから外れないためにも、「普通」を意識する必要があるのかなって思った。

普通の写真について

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奈良の風景って時折、日本の原風景を思わせるような風景が今でも残っています。

最近では古い住宅が建て壊されてしまって新しい住宅がどんどん増えていってる。

古き良き奈良の風景がどんどんなくなっていってるような気がする。

今日も歩いていて気がついたのだけども、以前は田畑だった場所に太陽光パネルが設置されてたりで、数年前に見た風景とはどんどん変化して行ってる。

奈良の風景は今撮るべきなのかなって思った。

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立派な画質で撮れればいいのだけども、それは自分のイメージではないのでやっぱりチープな画質で撮りたいな。

立派な画質の写真は誰かが撮ってるだろうし、記録的な奈良の写真は他の人が撮ればよい。

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自分はもっと散漫で普通の奈良の街の断片を寄せ集めたいって思う。

普通の写真で思いつく写真家がいる。

牛腸茂雄。

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「Self and Others」という写真集があるのだけども、あの写真集に収められてる普通の人々のポートレートがなんとも言えなくて。

普通の人々の普通のポートレート。

あたかも素人が撮ったかのような写真なのだけども、自分はポートレートは撮らないけども、あんな雰囲気で奈良の風景を撮れたら面白いかなって思ったり。

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牛腸茂雄のあの撮り方も意図的に撮られてると思う。

絶対に「普通」を意識して撮ってると思う。




コメント

  1. yoksnapshot より:

    はじめまして。
    「写真 意味 ない」のキーワードでググっていたところ
    こちらのブログにめぐり逢いました。

    撮られてる写真がとても好みです。
    ツイッターやインスタを利用されているなら教えて欲しく
    コメントしました。

  2. takemura より:

    コメントありがとうございます。

    ずっとブログの更新してなかったのですが、そろそろ始めようかと思ってた頃にコメントがあって不思議な気持ちです。

    ツイッターで頻繁につぶやいてます。→@takephotolife

    写真はマメに更新してますが、写真の話よりも時事系のつぶやきが多いかも。

  3. yoksnapshot より:

    ご返信ありがとうございます。
    もっぱら見るだけなのですが、ツイッター、早速フォローさせたいただきました。

    少し写真を撮ることへの飽きや虚しさ、アートと言われているものなどへの懐疑心
    そんなものが重なってたところでしたが、こちらのブログに出会い(他にも数多く目を通してきたました)が、また撮りたい欲求が復活してきたところです。

    ありがとうございます。

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