こんばんにゃ。
今日も行ってみましょうかね。
ネタが尽きてきましたけども、ネタが尽きてから写真であーる。
で、今日のお題は「写真とは パンクである」というお題で。
写真とは パンクである
写真って芸術性も乏しいものという認識が自分にはあります。
その写真でなにやら芸術的な表現するわけだから、最初から負け組のような認識ですね。
自分はそのように思ってる。
ライティングの技術を駆使したりレタッチなど駆使して芸術的な写真に見せる事ができるようですが、このあたりもあまりやりすぎると芸術というか商業的なデザインのようになってしまうわけでして。
絵描きが描いたタッチには負けてしまうと自分は思うわけで。
写真で芸術をやるってかなりハードルの高いことだと思ってる。
よっぽどのセンスのある人か、戦略的な方法でコンセプチュアルな写真作品を作れる人とかって「ああ、芸術の写真だなぁ」、「アートだなぁ」って自分は思うわけです。
他の人の事はしらんけども。
ただ街をほっつき歩いて写真撮るだけでアートにはなかなかなりません。
だいたいは「写真やってます」で終わるわけですね。
写真は芸術でない、自分の写真行為に「表現」って言葉を使う事に違和感感じてる人とかって自分も含めて、写真で何やってるんでしょうか?
「趣味です」って言っても貴重な休日のほとんどを写真を撮って過ごしてるような人たちって趣味以上のものを写真に求めてると思うのですが。
アート界隈から外れたアウトサイドの人たちってある意味パンクなわけですよね。
自分なんかは芸術に憧れつつ実際は反芸術的な感じで写真を撮ってますし。
自動記述のように街をほっつき歩いて写真を撮ってる自分のやってることが芸術なわけがなく。
「表現」というワードに違和感を覚えつつ、ツイッターやブログに写真をガンガンアップしてるわけでやってることって表現以外の何者でもないわけですね。
反芸術的であるけども「表現」してるわけでダブルスタンダード満載なわけですなぁ。
反芸術って結局のところ反権威なわけですね。
「反」する対象がなければ自分の存在意義ってなくなるような気もしますね。
まぁ、趣味で写真を撮ってるので何だかんだで写真をウダウダ撮り続けていけてるわけですが。
趣味で写真をやってますって言っても自分の中には「反」という思想が根付いてまして。
年齢とともに「反」という思想もやんわりと薄れてはきてますが、自分の中にどことなくパンクの思想が写真を始めた頃からあったような気がします。
そんなパンクも年齢を重ねていくとなんだか醜くなっていきますね。
いいところで辞めておけば良いものを醜くなっても写真を撮り続けて、ちまちまとツイッター、ブログを通じて写真を晒し続けるわけで。
なんか恥ずかしいというか、それでも辞められんというか。
醜くなっても自分を茶化しながらも撮らずにいられない、撮った写真を晒さずにいられないというなんとも自虐的なことか。
「反」も若い時はかっこいいかもしれませんが、おっさんになって「反」というのもみっともないですね。
無知は若者の特権でありまして、おっさんになって無知はやっぱり恥ずかしいですね。
おっさんになったらあからさまには「反」を見せないものですよ。
おっさんになって「反」ばかりじゃ日本共産党じゃあるまいし。
ふふふふふふ(笑)
で、私はパンクです。
ほほほほほほほほ(笑)
こちらがパンクの大御所の成れの果てっていうことで。
使用前、使用後。
使用後もそれなりに醜くてカッコええですね。
お金のために再結成とあっさりと言ってのけるピストルズっておっさんになってもやっぱりパンクですね。
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