今日は久しぶりに縦位置での撮影。
以前はよく縦位置での撮影はしてたのだけども、最近はめっきり減ってしまった。
なんでまた縦位置の撮影をふと始めたかというと、ちょっと前にジュンク堂で購入したニューヨークを描いたとある作家の画集を買っておいたのを、急に見たくなって見た事がきっかけである。
その画集はみんな縦位置で描かれており、急に縦位置での写真を久しぶりに撮りたくなってしまった。
その絵に感化されたのである。
そこで縦位置の写真といえば中平卓馬である。
で、中平卓馬を意識して撮ってみたくなったのだな。
ようするに「ごっこ」である。
普段は特定の写真家を意識して撮影することってないのだけども、時々特定の写真家を意識して撮影することもある。
そういう時には自分は「ごっこ」という位置づけでその行為を楽しむようにしてる。
特定の写真家はもうひとりいて、それは森山大道である。
「森山大道ごっこ」の時は決まってオリンパスのデジタルカメラを使う。
それはなぜかというと、オリンパスのデジタルカメラには「ラフモノクローム」というフィルターが入ってるからである。
このフィルターを使うと簡単に森山大道調の写真が撮れることから時々「森山大道ごっこ」をしたくなる。
自分が「ごっこ」と称して写真を撮ってる時っていうのはその対象の写真家に対してのリスペクトを含んでおります。
森山大道、中平卓馬、お二人の写真家共々、アクの強い写真家であって真似すると見る人が見たらすぐに真似とバレてしまうのだ。
写真家が自分の一つのスタイルを作り上げるのって大変なことだと思うし、自分はそれらのスタイルを真似して「私のスタイル」ですってな感じで写真を見せたくないのだなぁ。
とは言っても自分には憧れの写真家に対してのミーハーな部分がいまだに残っているのか時々、真似っこして撮りたいという欲求がふつふつと湧いてくる。
「中平卓馬ごっこ」、「森山大道ごっこ」と堂々それらの行為を晒したほうが良いと自分は考えた。
リスペク卜の意味を込めて。
「ごっこ」と称してればそのスタイルが他人のスタイルであることを意識付けできるし。
遊びだけど、けっこう真面目に撮ってるけどね。
他人の写真のスタイル真似て「自分の写真です」なんて言えんよね。
自分だったら明らかに他人の写真を意識して撮った写真だったら、そのへんは堂々と言うけどな。
別に自分のような名もない写真を趣味にしたオッサンが有名な写真家の写真を真似たって誰に迷惑をかけるわけでもないけども。
好きな写真家とか、尊敬するアーティスト、一目置いてる人たちを誰にも気づかれない場所でリスペクトするのだな。
で、今日は中平卓馬を意識してずっと縦位置で撮影したけども、結局のところ中平卓馬の写真みたいになるわけでもなく、いつもの自分の縦位置の写真である。
それは「森山大道ごっこ」をしても同じなんだけども。
結局のところよそからフォーマットを持ってきて、そのフォーマットで好き勝手に自分のいつもの写真を撮ってるだけなんだけどもね。
縦位置の写真とスクエアの写真って飽きやすく継続しての撮影って自分にとっては困難で、時々思い出したようにそれらのフォーマットで撮影する。
晩年に撮られた中平卓馬の縦位置の写真って、よくも飽きもせずに縦位置の写真を撮り続けたもんだなぁって関心してしまう。
何年もあのスタイルで撮ってたからなぁ。
精神を病んでないとあれはやり続けられないだろう、って思ったりもしたが、なんかすごいよね。
なぜ、植物図鑑か
久しぶりに縦位置の写真を撮るにあたって中平卓馬のあの有名な「なぜ、植物図鑑か」を撮影に行く電車の中で読もうかと思ったが、持ってくるのを忘れてしまった。
数日まで軽く目を通したけども、本をあまり読むことのない自分には理解しにくかった。
文章が難しいと言うか。
観念的だし、もっと簡潔に書いてほしかったって思ったが、中平卓馬があのワードを使わないと説明できなかったのだろうから、本に書かれてるあの文章から理解するしかないのだけども。
「なぜ、植物図鑑か」はかれこれ10年以上前に買った本だと思う。
買った時の途中まで読み進めて読むのを辞めてしまったのだ。
理由は文章が難しく、読んでいてつかれてしまうし、読んでる途中から集中力が途絶えてしまって結局は完読することはなかった。
でも、なんとなく言わんとしてることはわかるって感じで。
「事物をあるがまま」に撮りたかったのかな。
写真はウソをつくし「あるがまま」でなんて写真は撮れっこないのだけども、表現性なんか捨ててしまって「撮ること」、「記録すること」に徹した晩年の中平卓馬の写真はやっぱり尖ってるのだな。
晩年はネガフィルムを使わずにポジフィルムで撮影してたみたいだけども、ポジでストレートに撮影することで表現性を排除したんだろうな。
明るくしたり、暗くしたり、色を被せたりせずにストレートに撮る意味でもポジフィルっていうは晩年の中平卓馬の写真にはかかせないツールだったのだろう。
カラーネガの場合、暗室で色合わせしたり、露出を探ったりしてプリン卜してるうちに表現性が込められてしまうだろうから、撮りっぱなしでラボに投げるだけのポジって都合が良かったのでしょうね。
中平卓馬 名言
以前NHKかなにかで中平卓馬の特集が組まれてたのをテレビで見たことがある。
番組の司会のアナウンサーの女性と中平卓馬の自宅でのやりとりが面白かった。
中平卓馬がマウントに入れたポジを確認してるシーンだったけども、ほとんど同じような2枚のカットから中平卓馬が一枚をセレクトした。
それを見てたアナウンサーの女性が「なんでこれを選んだんですか?」と聞いて、中平卓馬が答えたことが「はっきり写ってる」だった。
アナウンサーの女性にはほとんど同じカットの2枚の写真から一枚を選んだ背景に、何か大きあな意味があると思って聞いたのかもしれないけども、中平卓馬の「はっきり写ってる」の答えに肩透かしをくらったような顔してた。
自分も「はっきり写ってる」の中平卓馬の答えに「ぷぷっ」って笑ってしまったのを覚えてる。
ある意味、名言である。
著名な写真家の発する、もっと観念的な重い言葉を予測してたんだろうな。
ひょうひょうと「はっきり写ってる」だから笑ってしまうよね。
でも、「あるがままに撮る」って言う意味では「はっきり写ってる」っていうことってとても大切なことなのかもしれない。
ピンぼけとかブレっていうのは絵画的にも見えるし、ピンぼけ写真とかブレた写真を出すってことは何かしら意図された表現でもあるわけだし、「はっきり写ってる」っていうことはある意味表現性を排除するために必要なことなのかもしれないですね。
植物図鑑や動物図鑑、乗り物図鑑のようなイメージであっけらかんとあるがままの事物を捉えたかったんでしょうね。
中平卓馬の晩年の写真ってその背景にある中平卓馬の思想を知らないと読み解けないと思うし、その背景にあるものを理解せずにあの縦位置の淡々とした写真が面白いって思える人ってどれだけいることやら。
ぱっと見たら素人の写真だし。
自分は何年か前に銀座のギャラリーでの中平卓馬の写真展を見に行った事がある。
あの縦位置の写真が淡々と等間隔でギャラリーの壁に飾られてた様を今でもよく覚えてる。
独特のリズム感があって印象的だったけども、展示を見ていて「スカスカ」の薄っぺらい写真という印象を抱いたのも事実でもある。
あの写真を購入する人ってよほどのコレクターだと思うけども。
自宅の部屋に飾るっていう写真でもないし。
見ていて不思議な感覚だった。
中平卓馬って元々は雑誌の編集者だったそうで、文章の人でもあるわけです。
「なぜ、植物図鑑か」を読むとそれは嫌でもわかる。
しかし、そんな言葉の人でもある中平卓馬の晩年の写真って、子供が撮ったような写真だったのだけども、表現性を排除することって言葉も排除することでもあるのかな、なんて思った。
晩年も文章を執筆して中平卓馬の写真に対するリアルタイムの胸の内が垣間見れたら、また中平卓馬に対する印象が変わったのかもしれないけども、晩年に執筆された中平卓馬の文章って知らないし。
中平卓馬 使用カメラやレンズ
写真家のホンマタカシが中平卓馬のドキュメンタリーを撮ったけども、ユーチューブにそのドキュメンタリーが動画で上がってるの見た。
中平卓馬がボソボソっと写真について話すのだけども、何を喋ってるのか聞き取れなかった。
ドキュメンタリーを見る限り著名な写真家には見えなかったし、知らない人が見たら変な写真を撮ってる老人にしか見えないだろうな。
中平卓馬について「なんで縦の写真なのか」、「なんで使用してるレンズは100ミリなのか」、「なんでポジフィルムなのか」、そのあたりを御本人の口から知りたかったのだけども、そのあたりの本人が発した情報を自分は知らない。
そのあたりは見る側が想像するしかないようだ。
ちなみに中平卓馬が使用してるカメラはこちら
キヤノンのF1
使用してるレンズは100ミリのマクロレンズとのこと。
100ミリのレンズを使ったのも沢山の情報が写り込まないために使ってたと自分は思ってる。
図鑑のように対象をそのまま写し込みたかったのだろう。
縦位置で撮影したこともいらぬ背景などの写り込みを排除するのに都合が良かったのかもしれない。
広角レンズで撮ってしまうとフレームの中にいらぬ情報がたくさん入り込んでしまうし。
縦位置の写真は展示した時を想定してのことではないと思う。
多分。
もしも縦位置の写真の見せ方にこだわってたとしたら、写真集になった時のことを考えての事だと思う。
ページを開いた時に左右に縦位置の写真が配置される。
もしも見せ方にこだわってたとしたら、印刷物になった時のことを考えてのことだったと思うけども。
自分は写真集よりも銀座のギャラリーでのあの展示の印象が一番強いですね。
さて、今日は「中平卓馬ごっこ」ということでレンズも100ミリの画角のものを持ち出した。
100ミリのレンズでひたすら縦位置で撮影するのは楽しいですね。
中平卓馬のレンズと同様にマニュアルフォーカスのレンズなので、一枚一枚撮影するのにいつになく対象を見ることを余儀なくされる。
オートフォーカスのレンズを使うと自分の場合は対象をよく見なくなってしまいます。
あとから撮ったものを見て「ああ、こだったんだ」っていうのもそれはそれで良いもので(笑)
さて、沢山書きましたね。
中平卓馬に関してはまだ思うところがいくつかあるのですが、今日はこのへんで。
マニュアルフォーカスのレンズでピン卜合わせしてたので、なんだか疲れてしまった。
縦位置の写真は最近は撮ってないけども、数年前に集中して撮ってたこともあって、おいおいブログにも縦位置の写真もアップしていきます。
明日も縦位置の写真を撮るかもしれない。
多分シグマのカメラで撮るかもしれないし、自宅に帰る電車の中で考えます。
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