撮影に出かけようと思って家を出る直前にカメラは何にしようかと悩んで悩んで自宅を出られない時がある。
今日はその日。
数日前から休日はコンデジでjpegでサクサク撮影しようと決めてたのに、当日になって「いや、違う」ってなって、カメラを取っ替え引っ替え。
「よし、これだ!」ってなってナップサックにカメラとバッテリーを入れて「さぁ、出かけよう」ってなった時に「いや、やっぱり違う」ってなって、そんなこんなで出かけるまで1時間ほどかかってしまった。
結局は自分が持ち出したカメラはパナソニックのマイクロ・フォーサーズに14ミリの広角レンズを付けたもの。
前日はあれだけ高倍率ズームでjpegでサクサク撮影したろうと考えてたのに。
直前になって、目が違ってくるんですなぁ。
こういう事ってよくある。
まぁ、撮影に行く直前にこういう状況になるってあまり良い心の状態でないのだけども。
精神的なものと言うより、疲れてるのかもな。
それと天気かな。
今日は朝からどんより曇ってる。
どうも軽快な気持ちでなんでも撮ったろって気にならなかった。
この曇空なので気持ちはモノクロで撮影したい気持ちが強かった。
なんて思ってるうちに晴れて来たりするもんだから。
こういう日もあるよな。
なんて思いつつ電車の中でこの文章を書いてるのだけども。
お散歩写真の撮影で使用するカメラの正しい選びかた
いつも決まったカメラしか使わない人にはあれだけども、カメラを数台所有してしまってる人は、今日どのカメラを使おうか悩んでしまうことってあると思う。
そういう時は、心の声に正直になってその日に使うカメラを選択すれば良いと思います。
すでにどのカメラを使うのか予定を立てていても、一旦その場で予定をチャラにして、今の自分はどういうカメラでどういう感じの写真を撮りたいのかを冷静に考えてからカメラの選択をするべきですね。
心の声にしたがって持って出たカメラが、それでもその日の撮影に合わなかったりすることは多々あるけど、それはそれ。
違和感覚えながら自分が選択したカメラを持って出たのはいいけども、撮影してて「今日はカメラの選択をまちがったなぁ」って思うことのほうが断然多いわけでして。
今日はパナソニックのマイクロフォーサーズのモノクロを撮ってみたかった。
最近はコントラス卜の薄いモノクロを撮りたくていろいろ考えてるところ。
最近のデジタルモノクロ写真に思うこと
どうも、モノクロって言うと自分はコントラストを付けたがってしまう。
こういうコントラストの高いモノクロってデジタル時代になってますます強くなってきてる風潮のような。
デジタルだからエッジも立って、カリカリのシャープな描写も加わって、オッサンの自分の目に刺さってくるような描写でもあって、特に最近はロバート・アダムスのようなコントラストの薄いモノクロ写真が気になってるのだな。
コントラストの強いデジタルモノクロって、なんか「ストリートスナップやってます」的なちょっとダサい感じが自分にはあって余計にコントラス卜の強いモノクロは鼻についてしまう。
オッサンなのでオッサンに優しい、オッサンにふさわしいモノクロでええのだわ。
若い人に対抗したり迎合する必要性もまったくないわけです。
今日もなんだかんだで大阪城公園をスナップ
京橋で下車。
大阪城公園には行くまい、行くまいって思いつつ、大阪城公園に引き寄せられてしまった。
今日も大阪城公園である。
幾度となくここには来てるので、大阪城公園はもうええだろうって気持ちもあって大阪城公園は避けてるのだけども、やっぱりいつもの如く大阪城公園には引き寄せられた。
そういや、年明けそうそう関ケ原に行ったなぁ、って思い出した。
もうすでに関ケ原での時間を忘れてしまってる。
が、不思議なもので新年早々に関ケ原に行ったこともあってか、大阪城公園で感じるバイブというものが以前とは違って感じるものだ。
大阪城というお城に何か感じるんでなくて、天守閣があったであろうその付近の土地のバイブが違って感じるのだな。
まぁ、大阪とか関西近辺を歩けば何かと豊臣家とゆかりのある場所にアクセスしてしまうもので、考え過ぎかもしれないけども。
まぁ、何か肌感覚で感じるものがあるって、それはそれでロマンがあってええのではないだろうか。
自分の心の声に従ってモノクロでなくカラーで撮ることに
さて、今日はパナソニックのマイクロ・フォーサーズに14ミリのレンズを付けて撮影に出たけど、そもそも午前中に自宅を出るときにはどんよりと曇っていたのでコントラストの薄いモノクロが撮れるかな、なんて期待をしてたのだけども、現在の大阪城公園は青空が広がっていて、よく晴れております。
午前中はモノクロの目になってたのですが、なんだかんだで強制的に今日の天気のおかげでモノクロの目からカラーの目に戻されてしまった。
広角レンズ一発で撮る風景も乙なものですなぁ。
広角レンズでのんびりと歩きながら撮る風景が今日は楽しいですなぁ。
自宅を出る直前に色々と迷ってしまったけども、なんだかんだで機材の選定は間違ってなかったようだ。
むしの知らせだったのだろうな。
さて、ぼちぼちと歩きますかね。
真田山陸軍墓地を散策
しばらく歩いてない場所を歩こうと真田山陸軍墓地に行ってみた。
数年前に一度来てるけども、ずっと行こうと思いつつ数年経ってしまったようだ。
なぜか知らんが・・・・
ここは独特のバイブが流れてて、ここに来るとなんでか涙腺がウルウルしてしまう。
確か橋下が市長だったころにここの墓地のことを言及してた記憶がある。
なんで国で管理しないんだ、ってな事だったと思う。
あれからどうなったんだろう。
沢山の墓が立ち並んでるけども、遺族が墓参りって言う感じで訪れてるのを今まで見たことがない。
無縁仏かな?
墓石に名前まで書いてるけども。
家に帰ったら真田山陸軍墓地にについて調べてみよう。
真田山陸軍墓地から鶴橋に向かった。
以前だったら鶴橋のいかがわしい商店街をウロウロと歩いて写真を撮ったものだけども、今では全然興味がなくなってしまった。
スナップ撮影は撮ることよりスリルを楽しんでる?
以前は危険な香りがする場所でスナップしてこそ意味があるって思ってたし、通りすがりの知らないい人を撮ってこそ、と思ってたけどもそういう写真にはもう興味がなくなってしまった。
スナップで人を撮るっていのはスリルがあるし、写真を撮りたいのかそれともスリルを楽しんでいるのか一時わからなくなった事があったなぁ。
だいぶ昔の話だけども。
街のスナップで人を撮る場合は特に根性試し的なものもあるし。
そういう写真を撮ってたころって今思うと一番写真について考えてたように思う。
今の自分はもう写真についてほとんど考えなくなったけども。
何年も金にならない写真ばかり撮ってたら、いい加減に自分の器が見えてくるもので、自分が撮れる写真って知れてるし、考えても仕方がないって今は思う。
自分はインテリでないし、見る人の知性をくすぐるような写真は撮れないし、撮る気もない。
見る人の知的好奇心をくすぐるような写真は撮れないし、撮る気もない。
写真で飯食ってるわけでないので、人を喜ばす写真なんか撮るつもりもない。
自分が満たされればそれでええのだわ。
趣味の写真なんだからそう有るべきだと思うよ。
他人の写真は知らんけども。
誰でも撮れる写真は誰でも撮れない
自分は今は風景的な写真が興味あるし、「非日常」を求めるよりも「普通」を求める。
誰でも撮れるような写真が好きだし、そいういう写真が撮れればええわけである。
しかしながら誰でも撮れるような写真って誰でも撮らないんよね。
特に「写真やってます」って人は何か意味あるようなものを撮ろうとするし、なんでもないもの撮ってからなんでもあるように見せようとするもので、自分はそこまで手のこんだことはしないし。
鶴橋近辺を歩いてたら昔写真を撮ってたこと思いだしたりした。
鶴橋から生魂神社まで歩いたけども、鳥居の前まで来たらちょうど門を閉めるところだった。
今日は生魂神社で手を合わすことはできなかった。
で、今は心斎橋の地下街の休憩スペースの椅子に座ってこの文章を書いてるところ。
さて、今から堺筋を歩いて大阪天満宮まで行こうかと思ってる。
そこから電車に乗って自宅に帰る予定。
明日は雨みたいだ。
多分、明日もどこかに撮影に行くと思う。
明日こそはコンデジでサクサク撮影しよう。
明日は雨みたいだけども。
そうそう、今日はマイクロ・フォーサーズと14ミリの広角レンズを付けたカメラを持って出て正解でしたね。
やっぱり心の声に忠実に従ってカメラの選定をしたほうが良いですね。
まぁ、楽しんで写真を撮りましょうや。
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